足りないものをどう埋めたら

子供のこと/ 2021年 3月3日
 2020年度を振り返る季節。コロナ禍で、息子の保育園でも多くのイベントごとがなくなった。お餅つきやバーベキューの恒例行事は無しになり、運動会は短縮で行われ、発表会に参加できるのは父母のどちらかのみ。今年を振り返ると、ざーっと過ぎてしまったというか、足りていないような不安にかられる。
中学生の親御さんも大学生の親御さんも、それぞれ違う足りなさを抱えておられることでしょう。うちには保育園児が一人なので、実感できるのは幼児のことですが、もう二度と戻ってこない110cmの大きさの息子の、いくつかの舞台は失われてしまったな。足りていないものを何で埋めたらいいのかなと考えたりする。まずは、外のコミュニティーに寄りかからなくても安定して笑顔でいるために、家族が仲いいことはより大事だなと(引っ越しす予定がある点においても)。でもそれはコロナ禍でなくとも同じこと。。

 子どもの立場になって考えてみると。私はもう子供の頭には戻れないから、私自身の保育園時代を今から思い出すと、浮かぶのは運動会のことや発表会のことじゃない。幼児時代に関しては、むしろそれらを覚えていない。

思い出すのは、ものすごくまんまるの泥だんごを作った日のことや、なんとかレンジャーごっこをして自分がいつもイエロー役だったことや、折り紙でくす玉を作った光景。写真に残っていないような日常のことです。

 失われたのは、シャッターチャンスを逃したとか、子供の発表機会を見ることができなかったという親の視点も多いかもしれない。子供はイベントがないなりに、友達と日常を積み重ねていっていると想像する。幸い、友達には毎日会える。

 親としてできることは、足りないねえー残念だねえー と悲観的にしない事なのかもしれない。それは子供にも不足感として伝わってしまう。大人になるとつい過去と「比較」してしまうけれど、あえてこれまでを忘れる。ないものに焦点を当てず、その日その瞬間に焦点をあてて、足りていることに気づく活動をしてみる。たくさんあるね!というスタンスに立つ。
 息子も話すことで小さな記憶を整理することでしょう。「こんなことがあった」を息子がたくさんお話しできるような夜の時間を持てばそれでいいのかなと思いいたり、少し肩の力が抜けました。しばらく引き続き、1日心の余裕をもって迎えられるようなペースで仕事していきたいと思います。